人は、一生懸命働いたり努力をしたり、汗水流して受け取ったお金などは大切にする傾向にあります。
しかし、ギャンブルやあぶく銭などのお金は受け取っても早いうちに散財する傾向にあります。
以上のことは誰でも経験あることかもしれませんが、
これが、ノーベル経済学賞の受賞者リチャード・セイラー氏が提唱したメンタルアカウンティング・心の勘定の概念となります。
(メンタルアカウンティングとは、一般に「心の会計」、「心の家計簿」などと呼ばれますが、ここでは、私のメンターに習い「心の勘定」とします。)
さて、人間の考えや行動が如何なる場合でもこのメンタルアカウンティングの概念通りに動くかと言えばそんなことはありません。
これが今回の題材となりますが、どのような時に概念通りに動かないのか?
それが投資を行うとき特に起こりやすくなります。
- 「メンタルが強いから私は大丈夫」
- 「物事の分別がしっかりできるから私にはメンタルアカウンティングは関係ない」
このように思っている方は投資をする際注意が必要です。
なぜなら、私が過去に出逢った大きな損失を受けた投資家のほとんどはどう見てもまともな人間、いやそれ以上の人間だったと思います。
すなわち、メンタルアカウンティングの概念に沿って考えた場合、まともな人間なら例え投資で負けたとしても大きな損失まで被ることはないはずです。
彼らはお金の価値とその賢明な使い方を知っていたはずです。
では、なぜまともな人間が身の丈以上の投資を行いその結果大きな損失を…?
投資・トレードを行うために、メンタルアカウンティングの考え方から個人のお金の価値観、及びその使い方について役立たせまた注意出来ることもあると思い話していきたいと思います。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
メンタルアカウンティングとはお金の勘定
人間は受け取る価値のないと思うお金を受け取ってしまったとき、そのお金に対して罪悪感を持つことがあります。
そしてその悪い感情から早く抜け出したいと思うとき、そのあぶく銭などを自分のところから手放すことで同時にその罪悪感をも手放すことが出来ます。
だから早くそのお金を手放したいと。これが心の構造でもあります。
また世間では「お金は持つべき者が持つ」とは言いますが、
例えば、宝くじで高額なお金を得た当選者のその後の人生を調べると多くが早い段階でそのお金を使い果たしているのは当選金に対し「自分は持つべきお金ではない」と判断したからでしょう。
その散財方法は人それぞれですが…。
さて、この心の勘定については、裕福層やそうでない人たちまで金額の上限に関係なくほとんど全ての人に共通する感情のようですから、
同時に世の中のお金の流れの秩序もこのメンタルアカウンティング・心の勘定によってある意味保たれているのかもしれませんね。
もし、そうであるならとても良いことだと思いますが、
ここで、「守銭奴のようにお金だけに執着する人には心の勘定がないと言えるのでは?」
と、さっそく意見が出そうなので簡単に回答しますね。
彼らももちろん心の勘定がありお金に対する罪悪感もあります。
ただ一般の人のように罪悪感を感じてもそのお金を手放さないという選択をしているだけです。
話はちょっと逸れてしまいましたが、どんな人間であろうと心の勘定があるわけです。
しかし、その心の勘定が効かない、または効きづらいときがあるのです。
それが投資をするときなのです。
以前、私は全くの初心者として株トレードを教える学校に入りました。
そのとき周囲を見渡すと、投資の経験があるが失敗し大きな損失を抱え学校に入校してきた生徒がいました。
その数、たぶん生徒全体の2割から3割はいたでしょうか。けっこうな割合ですね。
そして、その金額は、数百万円から数千万円。これも結構な額です。
心の勘定が効かないのが投資の世界?
そして、ここからが肝心です。
- このような損失を抱えた生徒にとって過去に投資したお金はあぶく銭だったのでしょうか?
- 彼らは持つべきお金ではないと判断したから簡単に投資を行いその結果損失を招いたのでしょうか?
そんなことはないでしょう。
たぶん彼ら生徒の多くがサラリーマン、個人事業主のようでしたから真面目に働いてコツコツと貯めたサラリー、起業して汗水流して得たお金であり、
少なくともまっとうに得たお金であることに間違いないでしょう。
彼らにとって価値のあるお金だと分かっていながら身の丈以上の投資を行い大きな損失を招いたのでしょう。
ということは、分別のあるまともな人間でさえも心の勘定を揺るがしてしまうほど魅了させてしまうのが投資の世界だということなのです。
普通の取引が実は怖い
株式投資にはレバレッジ(てこの原理)と呼ばれる信用取引が存在します。
この取引を利用することで損益の幅を約3倍まで広げることが出来ます。
ここで投資にはもう一つ、レバレッジとは違いますが、それに似たいくらでも資産を投資できる取引が存在します。
それは、普通の取引のことです。
でも、この普通の取引が実は怖いのです。
例えば、あなたがいくら大きな資産をお持ちであろうが、それが数億円という大金だとしても株式市場では本当に微々たるお金です。
それなりの売買高のある個別銘柄であれば数億円でさえも買い注文を行えば簡単にマーケットの一部として株券になってしまうということです。
ですから、個人投資家であれば例え数千万、数億円という資産であってもマーケットにおいては即取引出来てしまうのです。
これは個人投資家にとって取引の上限がないようもの。
だから心の勘定が効きづらい投資では自分にとって価値のある大事なお金だと分かっていても投資金額の抑制が効かなくなる可能性があるのです。
お金に対する価値ではなくその使い方・使い道
初めての投資では、取引がうまくいったときの未来像がとても良く大きく見えてしまうことがあります。
日常では、人生の大半を占める仕事ではストレスもたまりやすい。
また老後の人生を考え今から資産を蓄えたい気持ちもあることでしょう。
「このまま働いていても人生何も変わらない」と。
この厳しい現実や経済的に解放されたい気持ちが投資へと向かうことはよくあることです。
しかし、ここでもう一度言います。
心の勘定とは、普段の生活では出来てもそれが出来なくなるのが投資のときです。
素晴らしい未来像しか見えていないと大きなリスクを抱えながら投資を行うことになります。
だからこそ心の勘定を取り入れて欲しいのです。
また前述したように、個人投資家にとって取引にはほとんど上限がないこと、
投資で失敗したときの現実もリスクとして考えることが出来れば身の丈以上の投資をすることもなくなるでしょう。
あなたにとって投資するお金はどのような経緯から得てきたでしょうか。
投資するお金が「価値のあるお金」と判断したなら投資する意味があると思います。
「価値のないお金」と判断したならばそのお金は株券になった時点で簡単にマーケットの世界に飲み込まれ早い段階で罪悪感とともにあなたの手元から離れて行きます。
そのとき後悔という新たな罪悪感が生まれてしまうことでしょう。
そんな罪悪感の連鎖を生まないためにも、例え「自分には価値のないお金」と判断しても賢明な使い道を模索することが必要です。
お金自体には全く罪はありません。
「お金はその使い道で人間の価値が決まる」とは私も考えさせられます。
大きなお金を投資するとき、運用するとき、ぜひリチャード・セイラー氏が提唱したメンタルアカウンティング・心の勘定を思い出してください。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
その他参考記事:
スポンサーリンク
スポンサーリンク
コメントを残す